猫の子の件

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妖怪「強零」の話

 日本には様々な妖怪がいる。より正確に言えば、いるとされている。川には河童、山には天狗、ゲゲゲの森には猫娘。何かよくないことがあると全部「妖怪のせい」とするアニメもあるほどだ。それくらい「物の怪」の観念は日本に深く根付いている。

 妖怪の数は数え切れないとも、およそ1000種類に集約できるとも言われているが、多数の妖怪を詳しく知っているという人はそれほど多くないだろう。「日本の妖怪を知っているだけ挙げよ」といわれて十も二十もポンポン答えられたら、そいつ自身が妖怪である。

 世間一般に知られておらず、当然信憑性も検証できない。「強零」も、そういった妖怪のひとつだ。

 

 「強零」(きょうれい)は、江戸時代ごろから文献に現れ始める妖怪である。体液を飲ませることで人間に取りつき自我を失わせ、奇行に走らせたり意識を失わせたりするという。姿形については多くの異説があるようだが、細長い筒のような身体に顔が付いた妖怪として描かれることが多く、お世辞にも生物らしいとはいいがたい。

 取りつかれた際の影響は多岐に渡るが、多くの場合まず宿主が躁のような状態になる。精神が異常に興奮し、宿主はその身に抱えきれないほどの強い高揚感を覚える。それが噴出した結果、奇怪な言動を繰り返す・道徳観念が希薄になる・暴力的になるなどの影響が現れる。文献にある暴力事件の記録の中には、「強零のしわざかもしれない」と付言されているものが何件もある。

 躁状態になり、ある意味で元気になったように見えるのは、「強零」が宿主の持つ生気を引き出したうえで吸い取るからである。初期段階では普通に元気になった場合と見分けがつかず、周囲の人間も気づけない。生気が半分ほど奪われると、原因がわからない宿主はふたたび生気を湧き起こそうとして、ひどく「強零」の体液を求めるようになる。それによってはじめて周りも気づくが、この段階になるともう宿主は戻って来られない。

 生気の減少は神経に響く。末期の宿主は視界も判然とせず、言葉を喋ってもろれつが回らず、何を言っているのかわからなくなる。江戸の町人たちはこの聞き取れない言葉を「強零」の現世への怨嗟だと考え、恐れ、忌避した。決して聞かぬように、その場から逃げ出した。もはや人ならざるものと化した宿主だけが取り残され、誰にも、家族にすら看取られぬまま骨の髄まで啜り尽くされる。

 「強零」は、宿主の生気を吸いつくすとすぐさま次のターゲットを探す。エネルギーの抜け殻となった宿主が強烈な眠気に襲われるのに乗じて、まさに「眠るように」気を失わせる。直接殺すことはしない。生気が無い以上放っておいてもそのまま死んでしまうから不要だと考えているようだ。用済みになった身体を見限り、体液は穴という穴から噴き出し本体に戻る。そして何食わぬ顔をして次の宿主を求めるのだ。

 実際は、「強零」に生気を奪われても生還する例のほうが多かったようである。しかし、生還した者の大半は取りつかれている間の記憶をなくしており、後になってから自らの犯した行為を嘆くことになる。身体面でも不調を訴え、嘔吐する事例が多数を占めている。だがそれだけではない。一度憑かれた人間はもう人間には戻れないというのが当時の観念である。たとえ生還してもその後の人間関係には大きな支障をきたし、悲観して自ら命を絶つ者もいたようだ。

 

 ちなみに「強零」の体液には様々な味があり、総じて果物のような風味が多い。これは人間が親しみやすい味を持つことで効率よく生気の回収を行うためだろうと考えられている。しかし、ある文献によれば「-196℃に達するほどの冷気を含んでいるものもある(現代語訳)」という。この記述は今なお民俗学者や妖怪学者の頭を悩ませているが、ここでは深く立ち入らないことにする。

 また、実は「強零」という表記は原典に忠実なものではない。歴史上、「強零」が初めて登場する文献は『酒気者物怪類聚』(すきものもののけるいじゅう)であるが、これには「彊霊」と記されている。「彊」は「強」と同じく、力がつよいことを表す漢字である。当時の町人たちには字形が難しすぎたのか、その後の記録では「強」と書かれた例のほうが多いようだ。一方、「霊」がわざわざ「零」になった理由は定かではないが、取り憑かれると自我が奪われること、侵されている間の記憶が残らないことなどから、「無」を連想させる「零」の字が選ばれていったのではないか、と推測する研究論文がある。

 出島での貿易をきっかけとして、日本が鎖国下でもこの妖怪と脅威は世界各地に広く知れ渡ることとなった。そのインパクトは絶大で、世界最大の妖怪事典『Oxford Mononoke Dictionary』(OMD)にも「STRONG ZERO」として記載があるほどである。

 現代では妖怪学者の間でも「強零」の存在は確認されていないが、ひょっとしたら気づいていないだけで、今でも「強零」は私たちの近く──たとえばコンビニやスーパーのお酒コーナーなどで、我々のバイタリティを狙っているのかもしれない…というのは、さすがに考え過ぎだろうか。

 恐ろしや恐ろしや。